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Peanuts Blog[かぎや盛岡べん別館]

コロナ禍は厳しい…その時々の気づきを書き綴ります。55歳過ぎての、定年前のシルバー起業。 このままでは楽しくないと… 横浜市の支援と信用保証、銀行融資を活用して、必要な国家資格などを取得。生業としてこれからの働き方改革を自分自身に適用しました。

シマノの「キャラバン隊」による『市場の見える化』*1

見える化-強い企業をつくる「見える」仕組み
 自転車用駆動・ブレーキ部品の総合メーカーで、釣り具などでも高い技術力で評判の高いシマノは、積極的な海外展開で成功を収めている。しかしそんなシマノも、海外展開の当所は知名度も販路もないため、手探りの状況で市場開拓を行っていた。
 最大の市場である米国に於いても、シマノは苦戦を強いられていた。広い国土に6000店もの小売店が分散しており、業界全体の動きや流通のネットワークをつかむのは容易なことではなかった。
 そこでシマノは、本社から若手を中心に人的な応援を得ながら、米国全土の卸、小売店を巡回する『キャラバン隊』を編成した。
二人一組で半年かけて各地をまわり、次にチームと交代をする。目的は販売ではなく、アフターサービスやクレーム処理、製品紹介、そして情報収集。各チームは骨身を惜しまず、米国各地をまわり、三年の歳月をかけて6000店の小売店をまわりきった。
 現地・現物による泥臭い情報収集の効果は圧倒的であった。
 小売店に置かれている壊れた部品を見せてもらい、米国の細工リストは『こうやって自転車に乗るのか』『こんな壊れ方をするのか』といった『生情報』を体感することができたのである。
 シマノの製品に対する評価に加え、機能だけではなく消費者のデザインや色に対するニーズなどを直接感じることができた。まさに『市場が見える』ようになったのである。
 シマノはそうした情報をすぐに製品に活かし、米国での地位を確立していったのだ。
 市場のニーズを掴み、先を読むことができるようになったシマノを、メーカーや卸、小売店は驚嘆の目で見るようになった。「なぜそんなことまで知っているのか」、「よくしらべたな」とうい驚きの声が上がり、「こんなものができなか」と言う相談や注文が次々と来るようになった。「シマノ頼めば作ってくれる」という評価が確立され、シマノはトップメーカーとして認知されるようになったのである。
 シマノは米国市場ではもちろんの後発部隊だ。しかし、先行している企業だからと言って、市場が見えているという保証はない。たとえ後発であっても地道な努力で「市場を見える」ようにした企業が最終的には勝者となるのだ。
 現在のシマノの役員にや経営幹部には、初期の「キャラバン隊」経験者がたくさん居る。そして、「キャラバン隊」の考え方はいまも引き継がれ、各地で地道な市場の「見える化」活動が行われている。外部に頼った市場調査だけで無く「自らの足で稼いだ見える化」こそが、「市場の息づかい」を感じる方策なのである。

「状況の見える化」は、企業のインフラそのものである。

 基準やステータスという状況が見えるからこそ正しい判断、適切な判断意志決定が行われ、成果に結び付くことを忘れてはならない。