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Peanuts Blog[かぎや盛岡べん別館]

コロナ禍は厳しい…その時々の気づきを書き綴ります。55歳過ぎての、定年前のシルバー起業。 このままでは楽しくないと… 横浜市の支援と信用保証、銀行融資を活用して、必要な国家資格などを取得。生業としてこれからの働き方改革を自分自身に適用しました。

学生時代の旗の台の面影はもはやない

旗の台を訪れた。当時日吉まで通うのに、あこがれの東横線は予算が合わず、支線の大井町線へ。
当時は大井町線の名前ではなかったように思える。
田園都市線という名前だったような。
現在の大井町線旗の台駅は改築されて、ホームは新しくなっているが、
池上線旗の台駅は昔のままの状態。なが〜い木の椅子がホーム(下りホーム)に残っている。
学生時代の4年間を過ごした旗の台周辺は、もっとごちゃごちゃしていて、狭い道が多かったように思えるが、
今はとてもいろいろな店が有り、商店街は賑やかで道も広い。
当時はコンビニもないから、いまの旗の台は生活しやすいな。
赤のカマロで乗り付けて、大根を買っていった奥さんの姿が目に焼き付いている。その八百屋ももう無い。
4年間御世話になったアパートはもやはなく、一帯は「昭和大学50年記念館」とかになってしまっていた。
当時の大屋の3姉妹が住むアパートへ男子の私が入居したのも異例なことでした。

すぐ前の銭湯「荏の花温泉」もまだ残っているようだが、営業しているのかよくわからない状態で残っている。茶色の温泉だったような…

当時アルバイトで家庭教師をしていた「日本梱包株式会社」も中延駅側場所から、記念館の目の前に移転していた。
規模も大きくなり、自社ビルを構えている。30年も経つんだと感激した。
当時の家も立派で裕福な家だった。
その時の社長が言っていたが、社名に「日本」を冠につけるのが悩んだが、仕事が舞い込んでくるたびに「日本」をつけて良かったと話していたのを覚えている。