2年前に書き記したことだ。もう一度読み返して、リマインドしようと思う。
ある資料を読み返していると、柳生家の家訓が書いてあった。当時尊敬した先輩の言葉でもあったが、意味がわからなかった。その中で、出会いは”縁”を活かすか、殺すかは本人の考え方次第だ。人々の出会いは、結局のところ”縁”としか言いようがない。男女の仲だけでなく、長い人生の中で、いろいろな人との出会いがあります。その出会った人との”縁”の中で、幸せ気分曲線が上昇と下降する人がいる。人間の運命は本当に不思議で凄い。
- 小才は縁に逢って縁に気づかず
- 中才は縁に逢って縁を活かさず
- 大才は袖触り合うも多生の縁でこれを活かす
- 小才(頭を余り使っていない人)はどんなにすばらしい縁=チャンスに巡り合っても、それと気づかないし、
- 中才は(頭の使い方が並である人)はたとえ、そうしたチャンスに気がついたとしても、それは十分に活かすことができない。
- しかし大才(頭を十分に使っている人)は、どんなに小さなチャンスでも、それを見逃さず、最大限に活かしていくことができる
という意味とのこと。何気ないことでも、チャンスに繋がることを毎日心して生きてゆこうと思う。
出会いは、偶然ではなく、必然なのだと。